浮き沈み

 神経の慰めに即席の味噌汁を二杯、午前一時半のことである。出汁と味噌の優しい旨みと塩気、具と味噌のでろでろを溶くお湯の温かさが嬉しい。昨日は少し肌寒かった。先日の台風に伴って雨が降り続いた後、湿気と共に暑さが少し和らいだようだ。もう夏も終わりなのかもしれない。思えば、今週の中頃にはスーパーの店頭に福島産の梨が並んでいた。一方で、さっき散歩中見かけた花壇のサルビアの花はすっかり花弁を落として茎と葉だけの寂しい姿をしていた。季節は着実に移り変わっている。つい先週まで夏真っ盛りの中にいたのに、今はもう夏から最も遠い時期にいる。時間は立ち止まらず、それでいて季節は一回りして帰ってくる。回りながら進むもの。高校の頃数学の先生がスクリーンで見せてくれた正弦曲線を思い出した。横軸が時間だとしたら、縦軸は何だろう。真っ先に思い付くところでは気温か。これは掘り下げてみると示唆に富んで面白そうだ。また考え直そう。

 二年程前に教養科目として受講した認知脳科学の教員が、世の中の大概は波およびその関数で記述できると言っていたのをふと思い出す。あらゆる事象は時間を独立変数として増加したり減少したりすると。これには感心した。浮き沈みの背後には時間の流れがある。ずっと生きていればいい時もあり、悪い時もある。浮き沈みで思い出したが、海棲のプランクトンも日周鉛直移動といって浮き沈みをするらしい。植物プランクトン光合成のために朝浮き上がり夕べに沈み、それを追う動物プランクトンも浮いたり沈んだり、その塩梅で朝マヅメ、夕マヅメといった釣りの好機が生まれると昔行き摺りの釣り人に昔教わったことがある。前回も言及したが、今の自分の好きな女の子は彼女自身の流されやすさ故にしばしばプランクトンを自称している。この日周鉛直移動の話をしたら喜ぶかもしれない。それで何か彼女の中に閃くものがあれば幸いである。

 浮き沈みは時間の関数。この世の全ては波。実りの少ない教養学部の授業で得た数少ない警句であった。だが、この言葉に感銘を受けたつかの間、学生からこんな質問があったのを思い出した。曰く、視覚・聴覚は波動を捉える感覚だが、味覚はどうかと。教員は少しばつの悪そうに、味覚は波動でないと答えていた。確かに味噌汁は年中美味しい。かなり雑な理解ではあるが、二年越しの合点である。いい時もそうでない時も、味噌汁さえ飲んでいれば何とかなる。今のところ大学に通って得た最大の教訓だ。

 今回は雑感とは言え、先の二回に比べると余りにも中身に乏しい。だが今後も継続的に日記的文体で書くのなら、今日程度の軽みが適していよう。あまり頭を働かせては眠れなくなる。今回はこの辺りにして、音楽でも聴きながら眠ろうと思う。感謝。