遷居

 月末以降の引っ越しが決まった。予てよりの同居人との不和の為だった。とかく人と暮らすのには参る。生活のリズムが合わねば、騒音でまともに眠る事すらままならない。イヤフォンを貫通する話し声のお蔭で、昔好きだった音声作品すら楽しめなくなってしまった。不平を言おうにも、相手は実の兄である。先方の顔を立てながら、こちらの申し分を通すのは非常に骨が折れる。顔を突き合わせて話すにしても、兄の話し声は窮屈な都会暮らしのためか、郷里にいた頃と比べ蚊の羽音のように小さくなってしまい、口頭では意思の疎通すら出来ない。かと云ってネット経由だと、(これはしばしば気弱な人間に見られる性向だが)向こうの語気が荒いこと甚だしく、聞かされるこちらが惨めな思いになる。また、騒音の原因である相手の趣味のFPSも、これも(己が物件の契約の関係上唯一の気晴らしであるギターをまともに弾けない苦痛を思えば)止めさせるに忍びない。この問題自体身内の不始末であるから、このような不愉快な話題を以て知人に相談するのも申し訳ない。こうしてブログに書くのも本来は好ましくないが、万が一同じ悩みを持つ人がいれば(この悩みから直に解放される身として)相談に乗るくらいは出来るかと思い、書くことにした。そうでなくても、悩苦の言語化は現状打破の第一歩であるから、人に迷惑を掛けない限りで書き出すのがよい。言語によって問題の形を浮き彫りにする、そして此岸の形有るものは必ず何時か形を失う。形を得るのは、いつだって滅びの第一歩なのだ。

 これまで何度も両親に陳情し、己自身家賃を稼ぐ代わりに別居させてくれと頼んだ。しかし両親の生活への無理解(親を貶めるのは気が引けるが、敢えてこう呼びたい)により叶わず、対症療法としてヘッドフォンで浴びるように音楽を聴いたり、酒を以て酩酊したりすることで何とか辛抱してきた。こういった困難な問題に対処するときは所謂Fight or Flight, 則ち闘争か逃走という二種類の選択肢がある。前者は問題に直接働きかけるやり方であり、この場合兄と直に交渉することを意味する。しかし先述の意思疎通の困難を以てしては如何ともし難い。となると残りは逃走である。一時期現住居からの逃亡を目当てに、友人たちの部屋を転々としたり、或いは女性と親しくなり所謂ヒモとして住まわせて貰おうかと真剣に考えたこともある。だが哀しきは次男坊と生まれた身、両親始め他人の手の掛からないことを旨として育った己は、上手い具合に人に厄介になるということが不得手であり、人様に迷惑を掛けてまで逃げるというのがどうも出来なかった。そんなこんなで毎晩のヘッドフォンの音量は上がり、酒量は増え、そのような状態で種々の作業など出来る筈もなく、無為に夜を過ごし、そして昼間は失われた睡眠時間の補填に費やされる。そんな糜爛しそうな生活を二年と半年程(今ほど状況が悪化したのはもっと短い)過ごしてきた。

 事態が展開したのは一か月ほど前、己が煙草を始めたのが母に露見してからだった。我が家は祖父が煙草による肺病(この祖父も苦労人らしく、労苦のため慣れない酒や煙草を無理に嗜み随分と寿命を縮めたらしい)で命を落としており、家訓として禁煙の旨を厳しく言われていた。親父も母も兄も、家族に一人として煙草を吸う者はいない。自分も吸わないつもりだった。ところが、己は心の平穏のため喫煙を始め、そして今まで孝行息子であった次男坊に非行の兆しあると見るや否や、両親の方から転居先の紹介が日に二度三度、四度五度と来るようになった。そんなこんなで昨夜、転居先が決まった。少し狭いが交通の便もよく閑静な土地にあり、小綺麗で人を呼ぶに堪える部屋だ。

 新しい生活を前に、胸は洋々と期待で膨らんでいる。好きに眠れ、好きに歌が創れ、好きに台所が使え、好きに洗濯が出来、好きに掃除が出来る。そして何より、自分の裁量の分だけ、心地よい重さの責任が圧し掛かる。立派な掛け布団のような、心地よい重みである。綺麗な部屋なら、好きな花を飾っても見劣りしない。窓際に立派なカサブランカ百合を生けよう。古いレコードプレイヤーの喇叭のような形をしているから、きっと楽器の隣でもよく映える筈である。そうやって見栄え良い部屋になれば、人を呼びたくなるだろう。これまで世話になった人、これから世話になる人を呼んで酒でも振る舞いたい。既にして心は先のことで一杯である。

 隣室からの騒音が已んだ。今日はもう寝るべきか。

 おやすみなさい。