空砲(ハックルベリーに寄せて)

 ここ数日は割といい生活を送っていたと思う。日曜日は体調不良で23時まで寝ていたが、翌の月曜はバッティングセンターに行ったり、大学近辺を散歩して偶然会ったサークルの友人と昼を共にしたり、ふと読みたくなった『謎の彼女X』を、貸していた友人(彼とはもう5年の付き合いになる)から回収しようと友人宅に向かい、そのままその友人と散歩に出掛け、行く先々で灰皿を見つけては煙草を吸い、そのまま食事に行く、凡そ実があるとは言えないが愉快な一日を過ごした。友人は古馴染みで嗜好が程よく被るため、話題を選ばずとも会話が弾んで楽しい。

 高校の時は、同年代で程よく嗜好が被り、どんな話題でも愉快な方向に持っていけるような友人が数人居て、彼らのお蔭で自分の趣味・嗜好、極端に言い換えれば生存圏をうまく拡張することが出来た。これは本当に有難かった。自分の実家は妙に偏狭で文化的な活動に重きを置かなかった(置けなかったのかもしれない)から、このような友人に恵まれたことは非常な幸運だった。それまで知る事の無かった音楽、ギターの弾き方、季節の魚種とその釣り方、その他”何処かで誰かが営んでいる何か”だった数々の文化を、他人事ではない人間の営みとして受け止められるようになった。高校時代、長崎市という正真正銘の地の果てに閉じ込められていながらも狭苦しさを感じなかったのは、彼らのお蔭に他ならない。今、この日記を書いていて、改めて己にも幸福な、少なくとも明日が来るのが苦痛ではない時代があった事を認識できた。好ましいことだ。今度彼らに会う機会があれば、煙草のひと箱位は気兼ねせず差し出そう。そう思った。

 残念ながら大学に入って以降は、こういった出会いに殆ど恵まれなかった。2020年の春という時勢柄、用が無くとも一緒に居るような気楽な関係は生じる筈が無かった。そもそも妙に良い大学に入ってしまったので、大半の学生とは育った家柄や風土が随分と違う。そして家柄が近い学生は皆上昇志向が強く、一緒に居ると(これは瘋癲の自分が悪いのだが)息が詰まる。そんなこんなで、数少ない出会いの中で親しみという感情を覚える機会は殆ど無かった。

 病禍が落ち着いてから入ったバンドサークルでは面倒見の良い先輩方に恵まれこそしたものの、やはり兄と弟の年齢差であるから、次男として二十年余を過ごした習い性が邪魔をしてどうも立ち居振舞いが上手く行かない。これは恐らく現状の実兄との同居における緊張関係も多分に影響しているから、引っ越しで同居が解消されれば幾分か改善するだろう。そう思っておく。

 翌日の火曜日にもその友人宅に集まって、夜には彼と彼の友人(初対面であった)と三人で飲んだ後、家でひたすら彼の勧める音楽を聴いてくつろいでいた。ふと、ネットミーム”To be continued”の元ネタとしてもお馴染のYesのRoundaboutのイントロが流れた。くだらない動画でいつも笑わされていた高校時代の事と、同年代の友人の事とを思い出して妙な心持になった。

 

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 愉快な思いをした話にも拘わらずやや暗い文章になってしまった。体験と内省の紐付けを見直さなければ。