茶番

 本当に限界なので、脳内の人格とお茶をする事にした。電気ケトルでお湯を沸かし、急須代わりのガラスポットに茶葉のパックを放り込み、ペアの湯呑を一組用意する。この湯呑は昔、九十九島の土産屋で当時親密だった女性への真珠の耳飾りを買った際、店主の好意で貰った夫婦向けの品だ。今思えば、お店の方の<真珠を渡す相手と一緒に使え>というメッセージだったのかもしれない。ただ当時はお互い親族と同居していて、家でゆっくりお茶をする機会は無かった。あの時から一年以上経ち、今ではその女性とも同居人の親族とも別れて、一人の部屋でお茶を淹れている。なんだか少し申し訳ない気がした。

 

 ぼーっとしていたせいで、ケトルのお湯が90℃を超えてしまった。緑茶を淹れるには少し熱すぎる。個人的には70℃位で抽出するのが一番好きだ。お茶が酸化してしまう前にすっと飲めて、水色よく香りがよく立って、カフェインの効きも穏やかだ。ケトルの蓋を開けお湯が冷めるのを待つ。その間にお茶菓子を用意する。勿論、二つずつ。

 

今日のお茶請けは?

月餅と外郎です。

貴方は昔から月餅好きね。

固いものが好きなんですよ。小さい頃に納戸にあった母の育児本を読んで以降、歯や顎を養うのが癖になっていて、その、歯も顎骨もその周りの筋肉も、生活の実質ですから。(男、月餅を二人分開けて机に据える)

生活を大事にする人間は23時に起きないし、日付が変わってからお茶をしないものだと思うけど。この外郎は?好きなの?

月餅の隣に置いていたので買いました。普段は食べませんが、これも経験です。

なんだ、名古屋へのリビドーが残ってる訳じゃないのね。にしても、外郎、あの、拙者、親方と申すは……

嫌な事を言いますね、『外郎売』、一時期よく聞かされてましたよ、あの人、劇団員だったから。この湯呑を貰うときに買った真珠も、元はあの人が劇団の芝居で人魚の役をしてたから、良い趣向かと思って贈ることにしたんです。

生身の人間が苦手な癖に、劇団員なんか口説くから酷い別れ方をするのよ。貴方にお芝居の楽しさが判る筈は無いわ。肉体の躍動、現前、役者の身体を通した人格の表出。貴方、音楽にしたってライブハウスで聴く、というか観るのより、部屋でヘッドホンをして聴くのが好みでしょう? 身体を持たない、観念上の人間にしか恋をしてはいけないのよ。人を無暗に傷つけたくなければ。

本当はあの人を通してそういう人間的な、過剰なエネルギーの表出を愛せるようになりたかったんですがね、自分はあの頃、退屈任せに生き急ぐことしか考えていませんでした。辞世の句だって用意してましたからね。それはそれと、お芝居に関しては最近ようやく好きになれそうなんですよ、三島を読むようになりましたから。こうやって貴方に芝居がかった、ヒロイン的な”女”を演じる口調、まるでオカマの人達みたいな話し振りをしてもらっているのがその証左です。僕のような神経の細い男が一番嫌い、そしてそれ故に頼もしさを覚える話し方。

にしては貴方は女の表現が下手ね、三島より先に太宰を読むべきよ、太宰は男の女々しさと女の雄々しさを描くのが上手だから。尤も女々しさに掛けては貴方もなかなかのものだけど。

本当に嫌な事を言いますね、今どき”らしさ”なんて物言いなんてしたら縛り首ですよ、そういう偏見に人生を狂わされた不満を持つ人々は沢山居ますから。この頃は付き合いでよく10代の女の子に会いますが、大体自分の性別に不満を持ってますよ。彼女らは刺すこと切ることに戸惑いがありませんからね、自傷が出来る者は人の首を落とすことにも余念がありません。どうか刺されませんように。

飢饉とか戦争とか恐慌じゃなくて、性別。それくらいにしか人生を狂わされない生活は幸せなものよ。不安になりたい、不満を持ちたい人間の云う事なんて無視しておけばいいの。彼女らの中からはロベスピエールは出て来ないわ。ただ、若いから不満なだけ。きっと反り腰で、よく窄まった肛門を持つんでしょうね、ただの便秘よ。海綿の貪欲さで馬鹿な成人男性から精力を吸い上げて、それでその精力の扱いに困っている。畳一畳の幸福を愛でることも出来ない、彼女らこそお茶を淹れて生活を慈しむべきだわ。少なくともあの子らにありとあらゆる自傷の陶酔を教えた者達こそ断頭台送りになるべきよ。

最後のには同意します。しかし、淹れたお茶は飲まねばなりません。(男、温くなった茶を飲み干す) 貴方もいかがですか、冷めたお茶は飲めたものじゃありませんからね。

遠慮しておくわ。何分、身体が無いもので。お供え物とでも思って。

生憎こちら、信仰は持てない気質でして。もう遠いところに在るものを追うのは疲れたんですよ。消失点はいつだって視線の先にあります。しかし、地平線には手が届きません。無論、水平線にも。まあ、一切が手に届く範囲にあるよりはましですが。信仰も、はたまた恋愛も、無いよりましなものに意味を与える行為です。(男、女の分の茶を飲み干し、外郎をひとつ開ける) ういろう、言われて気付きましたが、嫌なダブルミーニングを持つものですね。こんなものをうっかり買った自分の潜在意識が怖い。食べて無くしてしまわなくては。

そうやって日常の些事に勝手に意味を見出して一喜一憂できる辺り、貴方は恋愛体質よ。しかもその対象が日常という点で、同性愛のそれ。手の届かない遥か彼方ではなく、ただ自分のすぐ近く、隣にあるものを愛でる価値の体系を持つ。ただなまじ距離が近い分、焦点を合わせるのに苦労するはず、具体的に言えば、放っておくと好意持つ対象との距離を際限なく縮めたがる傾向があるはず。

精神分析は頼んでいない筈ですが、うっかり潜在意識なんて言うものじゃありませんね。(男、外郎を一齧りする) しかし、よく分かりました。貴方のご指摘を鑑みて、この楽しい時間もこの辺りで。生活とは、中庸を行かねばならないものです。苦みと甘みの配分こそ、旨みの秘訣です、しかもその旨みは長続きはしません。(男、立ち上がって茶器を流しに運ぶ) 明日があるのでそろそろ寝ます、おやすみなさい。お蔭様で少し良い夢が見られそうです。(男、ベッドへ向かう)

 

……緑茶の飲み過ぎで眠れず、することなしに戯曲めいた日記を書こうと思ったがいざ書いてみるとどうも気恥ずかしい。生憎自分には役者の、というより脚本家の饒舌は合わないようだ。