唯心論の迷路

 何だかここ最近は、上手に言葉を紡げないでいる。心の荒みをそのままに生活を送っているせいか、ことばの持つ微細で豊かな情感、詩情への感性がめっきり損なわれてしまった。その代わりなのか知らず、ここ数日は意地悪で解釈可能性に乏しい強い言葉ばかりが脳内を去来している。

 通りを歩いていて大学生カップルとすれ違いその会話が耳に入れば、(そんな話しか出来ない人間を恋人に据えて惨めじゃないのか!)と心中で悪態をつき、電車でスーツ姿の男女二、三人が冴えない同僚の揶揄や自身の仕事ぶりの誇示をしているのを聞けば、(心理学の教科書通りの会話しか出来ないのか!たわけ!)と罵り、入った先のラーメン屋で流れているポップソングを聴けば(音楽よりもセックスの方が好きそうなラブソング歌うくらいならコンニャクにでも愛を囁け!大根でもレンコンでも突っ込んで福神漬けの子でも孕んでいろ!)と、もう大変な心の荒み具合である。近頃はもはや心中に隠し留められていないのか、とうとうこの間一緒に出掛けた知人に「ピストルズより反社」と言われてしまった。

 こんな調子だから到底日記なんて書けないし、詩や短歌も詠めないし、歌詞も書けない(今このひと文を書いている自分にすら、(芸術家気取りの俗物め!)と憤っている)。何より困ったことに、この文章を読んだ人がどんな印象を自分に対して持つか、そこを考えた上での取り繕い、すなわち文体への配慮をする気力が起きない。普段ならその響きを嫌って使わない接続助詞の「し」を意識せず使ってしまっている上に、いつも読み手に対して「皆様」だとか「方」といった多少の敬意の表明をするところを、「文章を読んだ人」と中立的、どちらかと言えばぞんざいな待遇で表現してしまった。これは行儀良く、気弱に振舞う態度を嫌う根性のためか。ともかく今は、礼儀の持つ陰湿さへの激しい嫌悪が、低気圧の時の頭痛のように頭蓋を充たしている。痛む。参った。

 どうもここ数週間程、秩序だったもの、儀礼じみた礼儀への不信感がひどく募っている。誰も彼も我が身可愛さに自分の無害と有能を示したく、それで行儀良く振る舞ったり、或いは逸脱を演じて見せているように思える。流行という規範に従って(ひょっとしたらこの規範は彼ら自身が編み出したものかもしれない)マッシュやセンターパートの男子大学生、ありふれたメーキャップの女子大学生が、バンドサークルでブルーハーツを歌う。誰もヒロトのようにステージでチンポコを出したりはしない、その程度の熱量、ファージのタンパク質の殻のような革ジャンとマーチンのブーツで格好つけている。打ち上げの後にDNAを注入することを楽しみにした連中、逸脱を礼儀にする人間、訳も分からずPrettyな歌を好む人達。そんな実在するか分からない(多分してない?)存在をでっち上げては、殴り飛ばしたいという衝動が確かにある。極まりつつある人間不信。もっと適切に言葉を練れば、人間の礼儀、シニフィアンシニフィエの根本的な乖離、恣意性を原因とするコミュニケーションへの不信、更に遡れば被害妄想、もっと言えば自身のパワーの感覚への不安が、苦くて甘い偏頭痛となって片時も離れない。原因は自分をこれまで何とか人倫に引き留めてくれていた信頼できる人間の喪失、そしてそれを引き起こした自分の不手際?どれが因でどれが果か分からない複雑系のフィードバックの中できっと今日も藻掻くことになる。苦しいから考え続け、そしてラディカルな思考を重ねればその分だけまた口が悪くなる。万事休す。

 

 

ここまで自分の書いた文章を見返す。精神分裂症にしか見えない。元々脳内をそのまま反映するような文体が得意なのを差し引いても、これは酷い。今日のところは何とか心身を休め、眠らせることにします。東京にも雪が降ったらいいのに。