来迎

 ときたま、特定の小柄な女性相手に、自分は何か特別な、恩寵のような感覚を覚える。別に少女性愛の趣味などではなく、むしろこの感覚は歳が同じかそれ以上の相手に対して覚えることが多い。身体の物理的な小ささがかえって<存在>の背景たる<世界>とその広大深遠さとを意識させ、翻ってはその<世界>を背負い込もうとする小さな<存在>の気焔の尊さをそこに見出してしまう。一種の阿弥陀信仰のように、叶うべくもない望みを現前する人間に託したくなってしまうのだ。(尤も、この<存在>と<世界>の対比はエロゲにおける立ち絵と背景の関係と相似しており、現実的な人間観ではないのだけれど…)今回の日記は、そんな存在にまつわる、ある奇妙な体験と、その体験への簡単な回想。

 

 今年の五月の半ば、都内某大学の喫煙所。とある事情から禁煙を決意した自分は、保管していたすべての煙草を譲るという名目で、当時知り合ったばかりの女性に会いに来ていた。知人は身の丈五尺と小柄ながら、才気煥発、好奇心旺盛、歳がひとつ上だけあって人生経験は豊富、それでいて顔立ちはとても美しく、シーボルトの孫娘と未来仏を足して二で割ったような柔和さを持ち合わせていた。そんな好奇心旺盛な彼女のことだから、ストックしておいた普段吸いの珍しい銘柄の煙草も喜んでくれるだろうと、自分は煙草を渡す相手として選んだのである。

 喫煙所は林の影の、プレハブのような白い小屋。自分達はそこで煙草の受け渡しを行うついでに、試しにひと箱開けて吸ってみることにした。銘柄は、ブラックデビルモカバニラ。かつて町田で浮浪者に教えてもらった思い出の品で、彼と自分以外は誰も吸っていないのがお気に入りの、コーヒー風味の煙草である。彼女は差し出した箱から細い二本の指でその黒い紙巻を一本抜き取ると、関東の女性らしからぬ血色のいい唇にそれを咥えてみせた。すかさず自分は火を点ける(被虐趣味の変態の面目躍如の瞬間である)。彼女はその一口目をゆっくり吸うと天を仰ぎながら煙を吐き、ひとこと味の感想を口にして、再び俯いて煙草を口に近付けた、そしてその時。バチン、と弾けるような強烈な閃きの感覚が、脳中を駆け巡った。それは、国宝の弥勒菩薩像との強烈な既視感でもあり、理想が現実になり、現実が理想になる空恐ろしい快感でもあった。自分はあの日以来、己が生きているとも死んでいるとも知らず、まるで自分の名前を丸ごと無くしたかのような晴れ晴れした気持の中にいる。そして、今もそれは変わらない。

 

 一体己は悩んでいる。あの日以来、己は人生に影を無くした。つまり、太陽との位置的な関係性を。あるいは、夜の最中において輪郭を。何者も増えず、何者も減らず、全てはただ、砂時計の両側のように与え合い、消滅し合うだけの気侭な世界へ、己は迷い出てしまい、居心地こそよいものの、未だこの世界から脱出する術を知らない。そしてその世界へと自分を誘った"印象としての"彼女とは別に、現実の彼女は、今こちらの世界へと関心を向けており、つまるところ自分に興味を示してくれている(有難い事だ!)。そして、己は自身が興味を示してもらうに足る存在であることを知っていて、見られる覚悟も、やがて見られなくなる覚悟も出来ている。しかし、問題は<存在>そのものではなく、私の肩越しに燃えている<世界>の方なのだ!

 

 あの狐のような眼差しが霞むことなく、よき狩人の眼のままでいられるように。私は望む、アリアドネの糸にも似た、涙色の目薬を。