退屈の諸相(1)

 とある潜在的な需要により……退屈とその対策について。

 この文章は、退屈という厄介な感情を、この感情に無縁な人々に説明する目的で書いており、そのため論理というよりは感覚に訴求するやり方での表現が多い。そもそも退屈は気分、エモーションではなくムードであり、感情の内でも穏やかで持続的なものであるから、感情の原因を明示するというのが難しい(怒りや嫌悪感のような、具体物の刺激への単純な応答としての感情とは異なる)。したがって気分の説明としては、下手に理路整然と書こうとするより、もっと漫然としたやり方の方がよさそうだ。この文章はそのような感覚的なやり方で書くことになるから、共感性の高い方にはこの先を読むことを推奨しない。

 まず、退屈を自分なりに定義するとすれば、”陶酔感の著しい欠如による不快な気分、厭世感情”くらいが妥当だと思う。分りやすさの為に幾つか例を挙げよう。例えば子供時代、クリスチャンでもないのに教会の冷たく固い長椅子に座らされ、説教を受けたような感覚。病院の無機質な待合室で、掲示板に貼られた後期高齢者向けのチラシを眺めるのに飽きた、早く名前を呼ばれたいという感覚。或いは、出口のない映画館で興味のない映画を見せられている気持。もっと暴力的なものになると、海も山も無いだだっ広い平野の、話し掛けても語らないような淡泊な住宅街に何か月も閉じ込められて、妙に幸せそうな他人の生活をよそ目に毎日をやり過ごすような気持ちで暮らすうちに、いっそこんな街燃やしてしまいたいと願う感覚。渋谷の街ですれ違う人々を片っ端から切り付けたくなる感覚。身の回りの一切に夢中になれず、また他人が夢中になっている何かも無価値に思え、他人と違って上手く物事を楽しめない自分の神経系に劣等感を抱いては、その場にただ居るだけで苦痛を覚え出し、ひどい場合は逃げ場さえ見つけられず、こんな苦痛が続くぐらいならいっそ、と自死を願うようになる。それが退屈という気分だ。

 さて、ここからはこの退屈という感情を、娯楽との関係という視点に搾って述べていこうと思う。先に述べた通り、退屈感というのは陶酔が阻害されることによる負の気分であるから、人間に陶酔感をもたらすもの、則ち娯楽の、完膚なき敗北とも理解できる。音楽、文学、酒、煙草、演劇、映画、運動、恋愛事、ゲーム……この際仕事や学校の勉強も娯楽の一種だ。凡そ人間が夢中になれるものなら何でも娯楽と呼んでいい。陶酔の強度が高ければ、”生き甲斐”との言い換えさえ可能である。

 ここからが本題。まず退屈感を悪化させる原因として、人間嫌いの感覚がある。これは流行りの曲を嫌がる心理に似ている。楽曲自体はいい曲だと思えても、その曲を有り難がる人間達、大衆という言葉で纏めてしまえそうな没個性的(に見える)人々の姿が頭に浮かんだ瞬間、その曲ごと拒絶したくなる。映画「ボヘミアン・ラプソディ」のせいでQueenが聴けなくなった人も多いことだろう。或いは女性シンガーソングライターの書くラヴソングを聴かされて、作り手の私生活を想像し、その生々しさに眩暈し、嘔吐しそうになる。最近は映画監督の不行状のニュースも多いから、映画を見ていても、乱暴を働くような人間がこんな作品を作れるのかと、公正世界信念を犯されて妙な気分になる。そもそも芸術自体が人間の営みであるから、人間に親しみを持てないと坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの原理で上手く楽しめない。どんな作品にも人間の意図が網目のように張り巡らされている事を思うと、なんだか騙されていないか不安でノイローゼになり、最後には作品に対して拒絶の態度を取ってしまう。人間嫌いと云うより、人間不信の感覚といった方が近いかもしれない。人間の絡む芸術で陶酔を得られないこの手の人間は、より生理的な快感を喚起するもの、例えば暴食やギャンブル、酒や煙草、LSD等を好む。若しくは怒りに任せて他者を攻撃してみたり、危険な行為に手を出してスリルを楽しんだり、ありもしない形而上の悩みに頭を悩ませたりと、怒りや恐怖、苦悩といった負の感情を用いた陶酔を得ようとする。こうなってしまうと最早廃人である。

 こうした状況を脱出するには、他者、人間が絡まない楽しみを持つことが有効だ。犬や猫のような動物にだけ心を開いてみる。その辺の野原に生える植物を愛でてみる。また芸術であっても他人が絡まない、つまり自分が一人で作る分には平気だろうから、作る側に回るのもいいかもしれない(尤も、そのうち一人では立ち行かないことに気付くだろうが)。それか、もし親しみを持てる人が居るなら、その人の好きな物事に触れてみるのも手だ。好きな人間の好きな歌なら、好きになれるかもしれない。そうやって、他人事でなく自分の事として受け止められる可能性の集合、謂わば生存圏を少しずつ広げることが、生きにくい世の中に、畳一畳分の、なんとか横になって休めるくらいの居心地のいい空間を設けてくれる。

 今回は暗い話なので、あまり長く続けるのは読み手にも書き手にも負担だ。この辺にしておこう。続きはその内書くと思う。

 

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