träumend

こんな夢を見た(夢十夜)。

 

 夢の中で夢を見ていた。どこかの病室。白い壁、白い寝台、白い布団。春めいた陽光が乳白色のカーテンを淡肌色に染めかける中、その華奢なからだは薄緑の入院衣に包まれて横たわっていた。顔立ちはよく思い出せない。ただ髪と肌の色素がやたら薄く、瞳は白みが掛かっていてあまり見えていなさそうだったのは覚えている。弱々しい色調に統一されている病室の中でさえ彼女は一等白く、戸棚の焦茶、カーテンの薄橙、冷蔵庫の白さえもが今にも彼女の肢体へなだれ込もうとしている。その光景は写真のようでほぼほぼ変化が無く、ただ視界の端のもやつきのようなものだけが時の流れの存在を示していた。思い出せるのはこれくらい。二回微分された映像のことだから、点を無理やり引き延ばしたようなぱっとしない像になってしまうのは仕方がない。ともかくそれは、崩壊への不安を孕んだ写真のような夢だった。

 

 病室の夢から醒め(それでも夢の中)、彼女の事を何とかしてあげたいと思った。あの病室から、彼女を今にも冒そうとしている現実から彼女を救い出すこと。自分にとってそれ以上に優先すべきことは無いように思われた。決意は当然のように為された。

 どうすれば夢の中の人物を救えるか。黴の生えた毛布に包まったまま俺は考えた。眠り方、夢の見方について、現代までの知的蓄積は十分な答えを出していない。ただ一つ確信できるのは、起床時に体験したことが夢見に影響を与えるということ。記憶は煮えかけの鍋底の泡のようなもので、ふとした拍子に意識の表層へと浮かび上がる。夢の中ではその浮上の仕方が覚醒時と異なるようで、そのため起床時には思い出せない遠い過去の記憶がある夜に夢の中でふと現れることもある。幼少時に遠方の美術館で眼にした無名画家の名前が壮年になってから夢の中で思い出されたりした事例があることを、俺はどこかで読んで知っていた。

 とにかく、体験である。実生活をより新鮮な体験で満たせば、それだけ豊かな夢が見られる筈だ。もし俺が一度起きてどこかの高原へ出向けば、彼女は草花を摘み集められるようになる。もし俺が一度起きてどこかの砂浜を散歩すれば、彼女は冷たな水に足を浸すことを覚える。あの病室、一枚絵の屏風のような景色から別のどこかへと彼女を連れ出すことが出来るのだ。その日から俺はなるだけ精力的に日々を過ごすことに決めた。

 その日一日を、鮮烈な体験で満たす。毎日少しずつ寄り道して、新しい風景に出会った。その時はなるべく彼女が隣に居るものとして、目にした全てを言葉で叙述することに努めた。近所の水仙の花がそろそろ散り始め、春本番の訪れを感じたこと。商店街の靴屋の店先で真新しい学生靴の革の匂いがして、高校時代を思い出したこと。四月には茨城の海岸の方までネモフィラの花を見に行くこと。そうやって日常のありとあらゆる色彩をことばの筆で絡め取り、心の中のパレットを満たしていく。そのうち次第に金銭と語彙が不足してくると、今度は本を読んでことばと表現を学ぶようになった。小説は勿論、思想書から詩集まで幅広く。岩波文庫で言えば赤、黄、緑、青から紫まで。そうしてことばと感性を磨くと、また目に映るものの見え方が変わって一層体験の深度が増す。彼女に初めて会って以降、日に日に俺は快活になっていった。

 

 しかし何度夢に落ちようと、彼女に会うのは依然として病室の中だった。いつまで経っても同じ部屋、同じカーテン、同じ入院着。窓の外の季節も一向に変わらない。それでも少しは変化があって、例えば彼女を眺める自分の視点はより彼女に近付いた。簡単に言えば、前は寝ている彼女の足元の方から部屋全体を眺めるふうだったのが、いつからかベッドの脇の丸椅子に腰掛け、横たわる彼女の傍らにいるようになった。より近くに居ることを許されたのが嬉しく、自分は彼女に話し掛けることを始めた。病室から出られないなりに、外の世界の事を彼女に伝えようとした。この間季節外れの雪が降ったこと。偶々入った古書店で好きな小説の初版本を見つけたこと。彼女はいつもそれを静かに聞いては寝息を立てている。その表情が愛おしく、お喋りは一等情熱的になる。ここでは俺はいつも早口で、饒舌だった。

 そうして毎日夢と現実とを行き来しているうちに、次第に寝て見る夢と起きて見る現実とが強固に縫い合わされていった。夢に在っては現を語り、現に在っては夢を語る。そんな本返し縫いの日常が三か月ほども続くと、眠ることも覚めることも大して違わないように思えてくる。つい先日乱歩を読んで(これもあの”体験”の一環だった)「夜の夢こそまこと」という言葉を覚えたが、今の自分は正にその通り、寝て見る夢の方が自身の過ごすべき世界だと確信している。思えば彼女に出会ってからというものの、俺は随分快活になった。それまで彩度を欠いていた景色が文字通り精彩を取り戻し始め、そしてその中で息づく俺は極度の健康にまで到達した。つまり、俺の棲む現実こそが一つの病室の夢であったのだ。

 この一大発見は自分に、彼女がいつか病から癒え目覚めてくれるであろうという確信を与えた。何故なら、愛情は相互作用を持つからである。俺は自分の快活を分け与えようと躍起になっており、それほど活気に満ちていた。彼女に出会ってから胸中に生じた小さな火種は、今や俺という内燃機関の駆動を伴う連続的爆発である。俺は太陽。盛んに燃え盛り、力の及ぶ限り感応を与え、彼女を目覚めさせる旭日光そのもの、俺がこうして活力の横溢状態にある限り、彼女もやがて内的な活力を生じて目覚めるに違いない。俺は益々意気盛んに彼女への奉仕を行うようになった。彼女もそれに呼応したのか、自分が病室を訪れるたび、額や首のあたりに発汗がみられるようになった。近い将来に彼女は意識を取り戻す、俺は確信した。

 

 

 その日の夢は自分が病院の玄関口にいるところから始まった。初めての状況にも拘わらず、直ぐにその病棟のどこかに彼女が居ると確信した。妙な胸騒ぎと共に階段を駆け上る。病室の番号は知らないが、最上階の角部屋が彼女の部屋だと不思議に確信した。よりによって一番遠い。走る。着く。扉を開く。窓側のベッドに駆け寄った。

 毛布が半分めくれている。彼女は居ない。その代わりに布団が彼女の横たわった形に焦げていた。布団をめくると、恐らく彼女のものだろう。膝から下が焼け残って、骨が見えている。皮下の脂の層だけが燃えて、皮と肉が離れている。焼き芋のようだった。ついでに同じように焼けた手首も一つ落ちていた。彼女が心臓の方から順に燃えていったのは明白だった。俄かに看護婦が飛んでくる。疚しさを覚えた俺は病室から逃げ出そうと窓から飛び降り、そこで目が覚めた。

 病室の夢から追い出されて、俺は激しく後悔した。激しく後悔して、そこでその後悔の原因が彼女を焼き殺したことにではなく、彼女と二度と会えないことにあると気付き、正常に後悔することのできない自分を憎んだ。暫くして、実は彼女と二度と会えないことすら悔やんではいない自分に気付き、そんな自分を恨んだ。やがてこの憎しみは無限に後退しはじめた。己は内部から炎に灼かれることを望んだ。愛情に相互作用があるのならば、彼女を炭人形と変えた火焔そのものが俺自身を滅ぼす筈だった。俺は罰の苦しみで以て己の罪を知ろうとし、苦しみの到来を待った。自瀆の言葉で胸中に刑架を組み、やがて来る火が己の心臓を焼き滅ぼし、脳蓋を燻してくれるのを待った。しかし、いつまで経っても己は己のままだった。ただ心地好い疲労感だけが胸を充たした。俺は絶望した。そこで初めて、炎はただ炎の為だけに燃えるのだと悟った。

 

そこで完全に目が覚めた。