ロロロ

 虚脱。倦怠。不在証明。今は一切気力というものがない。この言葉の不誠実さを見抜いてくれる人々の悩苦への誠実さを自分は尊ぶ。真に疲労しているなら机に向かう体力など有る筈なくましてや物書きなんてもっての外、という矛盾のことだ。しかし、嘔吐。これは言葉などではなく、吐瀉。私からは、単なる脳幹の不快刺激。貴方からは、単なる汚物。言葉などそもそも不快な刺激に過ぎない。このことは言語のもっとも原初的な形態への想像、自然界の簡単な観察から安易に導き出される。警戒や発情のための鳴声。発音器官を持つ有性の動物なら大体これは出来る。もう少し社会性のある動物になるとミツバチの8の字ダンスのように他の個体にとって有益な情報を運ぶ意思伝達も行われるが、それらはあくまで高度のものであって、やっぱり言語の原初的形態は不快刺激の表明のためのものとみて間違いなさそうである。

 ことばは、やっぱり雷のようなものだ。天がその暗雲中に生じた万感の歪みを、地が呼応して迎え入れる。そうして二者が相通じた瞬間の閃光!やはり、眩しいのか。眩しいなら滅多に落とすものではない。人の眼は、鷹の眼でないのだから。

 以上、昨晩の散歩中に、轢かれて血みどろに潰れたウシガエルの目玉のような模様がこちらを睨んでいたのを思い出しながら。